蜘蛛の糸
「やぁ、金髪野郎。まだ生きてた?」

聞き覚えのある、しかし決して好ましくない声に意識が急浮上する。
見開いた目にまず飛び込んでくる白い天井、カーテン、そして自分を見下ろす三弦トウカ。
自分の置かれている状況を思い出すのにカンナはしばしの時間を要した。
ここは救護室。自分は先日の戦闘による怪我で運び込まれて確か3日目。
目の前のトウカは… なぜここに?

ここ最近の戦況悪化に伴い、以前のように出会い頭に墨汁をぶっかけられたりという事は少なくなってはいたが、彼が己の天敵である事には変わりない。
トウカから少しでも離れようという本能で、カンナは腹部の怪我をかばいながらじわじわと体を起こした。
一方ベッド脇に立つトウカは室内を見渡し「ここも大分人が減ったね?」と肩をすくめている。

「俺に…何か?」
一向に意図の見えない居心地の悪さにおずおずと尋ねる。
トウカはカンナに視線を落とし、すっと目を細めた。

「君の友達、みんな死んじゃったね」

まるで他愛無い世間話のように落とされた言葉。
静かな部屋に響いた声に、カンナの顔から色が失われる。
トウカはその表情をちらりと見て、カンナが担ぎ込まれてから一度も使われた事の無い見舞い人用の椅子に腰を下ろした。

「戦いの中で死んだのも、黒を裏切ったのも、裏切ってから死んだのも
たくさん居たと思うんだけどよく覚えてないんだよね、僕は」

女は特に覚えてなくてさ、と笑いまじりに。
彼は一体何を言っているんだ。
トウカの言葉をカンナは唖然として聞いていた。

覚えてないだなんて、よくも よくもそんな事を。
氷上先輩は、黒軍の未来を俺達に託してくれた。
ヨシ君は、最後までこんな俺を頼れる先輩だと誇ってくれていた。
瑠璃君は、あの状況で俺を「友達」だと言ってくれた。
波野さんは、白と黒の間で苦しみながらも最後まで俺たちの側に居てくれた。
龍人隊長は、いつも俺達を励まして支えてくれてた。
青鳥先輩は、俺と同じく泣き虫なのに凄く勇敢だった。
先に逝った皆の思いが、今の俺を動かしていると言うのに。
怒りと、目の前の男はこういう人間なのだと言う諦めとで唇を噛む。

一呼吸置いて、トウカの声色が変わる。
「次が最後になる」
何が、と考えてすぐに思い当たる。
白軍との戦闘だ。
「ここに残るのは最後まで黒軍に命を捧げる覚悟の有る者だけ」
少しだけ声がひそめられる。
「ケント司令は、去る者は追わないってさ」

「俺は!!」
思わず声を荒げていた。
「俺は、最後まで戦います…最後まで守りたいんです…!
皆の居た、この黒軍が…俺の居場所だから…! 約束、したんです」
「死人相手に何を言ってるんだい」
「…っ!!」

怒鳴りつけてやりたい衝動にかられ思わず立ち上がる。
口を開いた次の瞬間、容赦無く胸を突き飛ばされた。
バランスを崩し転がるのは柔らかいベッドの上だが、傷口が抗議の声を上げ歯を食いしばる。
「いきなり大きい声出すと貧血になるよ?」
笑いながら、脇腹を抱えるカンナを上から覗き込む。

「君が守りたかった仲間、居場所、黒軍。そんなもの、もうどこにも無いよ」

言い返そうとして開いた口から言葉が出ない。
真実だった。
「そう、僕は覚えてない。彼らがどんな死に方をしたのか、いつも何を話していたか、どんな人間だったか」
無言でうつむいた相手をそのままにトウカは続ける。
「彼らの事は、もう君しか覚えてない」
「…俺が死んだら、もう誰も…っていう事ですか」

問いには答えず、ベッド脇から離れたトウカは姿勢を正し、かかとを鳴らし歩き出す。
「我らが誇り高き黒軍同志は国のため、例え最後の一人となっても
薄汚い白のウジ虫どもを叩きつぶし、一匹でも多くの道連れと共に名誉の戦死を遂げる」
朗々と読み上げられた演説に呆然としているカンナ。
くるりとターンを決めその鼻先に指が突きつけられた。
「ただし、大和カンナ。てめーはダメだ」
聞き慣れた台詞が、彼の口から初めて出る単語と共に、こんな場面で聞けるとは思わなかった。

「なんで、俺を生かそうなんて、思ったんですか」
出口に向かう彼に投げかける。
「…蜘蛛の糸」
「え?」
「その糸が金色だったら僕は掴まないけどね」
背を向けたまま、その表情はカンナには見えない。
トウカはそのまま鼻歌まじりに廊下を去って行った。
その制服の裾が酷くすり切れているのに気づき、ああこの人はもうすぐ死ぬんだなと今更、漠然とそう感じていた。





三弦トウカの死に様は壮絶な物だったらしい。
勝ち目の無い状況にも関わらず最後まで降伏要求を受け入れず神名司令と共に戦い抜き、最終的には白軍の部隊長に打ち取られた、と聞く。
片腕を失い腹を貫かれた状態でなお、笑いながら戦い続ける様は白軍生徒にトラウマを植え付けただろう。

「俺が忘れても白軍の人は忘れられないんじゃないかな…」
新聞には白軍の勝利と、神名賢人の死亡がわずかに触れられているだけだった。
カンナはその記事を丁寧に切り取る。
「忘れないですけどね」
呟くと、開いていたアルバムの最後にそっと切り抜きを差し入れた。