朝飯攻防戦


「不味くはない」
年季の入ったちゃぶ台の上に並べられた料理。
鮭の米麹漬け焼き、ふろふき大根の柚味噌掛け、菊花の和え物、ネギとワカメのみそ汁、そしてほかほかとやわらかく湯気の立つ白米。
全てに箸をつけた後、賢人が言った台詞はそれだった。

「それは美味しい、って意味で取ってもいいんだよね?」
向かいに正座していたトウカは箸を止めにっこり問う。
返事は無い。無言の否定を受け思わずトウカはため息を付いた。
「あのね? 毎回言ってるじゃないか」
「私だって言っている筈だ。貴様の料理は全体的に味が薄い」
「濃い味に慣れすぎているんだと思うよ?」

トウカ自身、別に自分の料理が気に食わないと言われ腹が立つ訳ではなかった。
ただ賢人の味覚はどうにも妙な偏りが有るようで、日の丸弁当に5つも梅干しを入れて来たり醤油の味しかしないようなおひたしを好しとするのだ。
好きなら好きでそれでも構わないのだがやはり塩分多価は健康に良くない。
ひいては、トウカの愛するそのつややかな黒髪に影響が出ないとも言えない。
ゆっくりと普通の味付け―賢人が言う所の薄味―に慣らして行こうと思っていたのだが。

「ちゃんと味つけてるから、醤油は駄目」
ちゃぶ台の中央にあった醤油差しに伸ばしかけた賢人の手を咄嗟に掴む。
両者とも戦場では相当な実力者。途端に緊張が走った。
「どうしても私の邪魔をすると言うのだな、トウカ」
「君の味覚音痴っぷりには落胆してしまうよ? ケント司令」
「京風味付けに走るとはさては白軍の息がかかっているのではないだろうな」
「もう一度言ってごらんこの早死に予備軍」

賢人が醤油差しを手に掴むのとトウカが刀に手をかけたのはほぼ同時だった。



黒軍生徒達の集う寮は、多目的スペースや食堂、大浴場まで完備された、まさしく憩いの場である。
1階から繋がる中庭は見事に手入れされた日本庭園と運動スペースとなっており、普段は朝な夕なに生徒達が己の肉体を磨いていた。
しかし今朝に限っては中庭よりもその外側、2階3階の窓際にびっちりと生徒が押し寄せている。
激しい金属と金属の打ち合いが先刻からその中心に響いていた。
自室から中庭までさんざん廊下を破壊し運悪く居合わせた生徒を巻き込みつつ二つの黒い影が襲来していたのだ。

「こっちはケンちゃんの健康を考えて作ってるんだよ」
二本の刀を構え、トウカが言う。
その細身からは信じられないほど重たい一撃を放つ度、黒い長ランがはためき結い上げられた髪がなびいた。
一騎当千と謳われるに相応しい堂々とした姿だが、台詞だけが場違いだ。
「少しくらい塩辛いからと言って今日明日死ぬ訳ではなかろう」
鞭剣を巧みに繰り出し、賢人が答えた。
外套が踊るように翻り、学帽の下から鋭い深紅の瞳がのぞく。
その眼光はもはや学生のそれではないが、やはり台詞がどうにも子供の言い訳じみている。

中庭に面した3階の窓。
賢人の弟、龍人もまた壮絶な戦いを見下ろす野次馬の中に居た。
決して想像できなかった展開ではない。
兄とトウカの相性が良いとは龍人にはどうも思えなかったからだ。
(というか思いたくなかったという方が正しい)
どっちが勝つか賭けないか。このまま見てて良いかな学校行きたくねえ。などの声に混ざり、あれが夫婦喧嘩かぁと揶揄する声も聞こえる。
冗談じゃないと龍人は忌々しく舌打ちした。

「はいちょっとごめんよ〜」
聞き慣れた声に窓に張り付いていた龍人が振り返ると、涼平が人垣をすりぬけちゃっかり自分の隣に収まる所だった。
「さすがりゅーたん、最前だね」
「なにが言いてーんだよ」

ずずん、とくぐもった音がする。
急いで窓の外を見下ろすと立派な広葉樹が年輪を見せたおれていた。

「で、なんで司令とトウカが朝っぱらから本気試合してるの」
「…兄貴が三弦の作ったみそ汁に醤油入れたんだってよ」
「なんだ夫婦喧嘩か」
「お前まで言うな!!」

そうこうしているうちにも金属が打ち合う音はよりいっそう激しさを増していた。
3階の窓からもはっきり聞こえるのだから相当だ。
賢人が負ける事はないだろうとは思う。が、しかし。
龍人は食い入るように兄の戦いを見つめていた。
隣で大人しく見下ろす涼平がおや、と違和感に気づく。
先程までがんがん伝わって来た殺気が無いのだ。片方から。
すぐにその違和感は確信に変わった。
賢人と退治していたトウカは、なにを思ったのかおもむろに刀を鞘に納めたのだ。

「帰る」

ぐるりと背を向けて歩き出すトウカ。
その後ろ姿をしばらく見ていた賢人は、表情も変えず己の刀を鞘に納めた。
あまりにもあっけない幕切れに面食らったのは野次馬達の方だった。
「…どういうことだ?」
龍人が隣の涼平を見やるが視線だけでわからん、と返される。
「何をしている、朝礼に間に合わんぞ」
周囲を見回し放たれた賢人の言葉で、生徒達は弾かれたようにいそいそと日常生活へ戻って行った。

その日三弦トウカは学校に姿を見せなかった。



「おかえりーケンちゃん」
まるで何事もなかったかのようにそこにいるトウカに賢人は眉をひそめる。
予感はしていたのだ。誰もいないはずの寮部屋に電気も付いていた。
ついでになにやら良い香りもただよってくる。
「何だ、帰るのではなかったのか」
「一回帰ったよ?」
歩み寄ったトウカが賢人の脱いだ外套を受け取り、しわを伸ばして壁にかける。
学帽を脱がせるついでにちゃっかり黒髪も撫で付けるように整えた。
はー会いたかったと呟いてそのままべたべたと髪を撫でてくるが賢人はどこ吹く風と相手にしない。
害はないので放っておくのが一番だ、と学んだのはもう何年も前だ。

「授業にも来なかったな」
「金髪なら3人狩った」
2つはうちの犬畜生におみやげであげてしまったけど1つは冷蔵庫に入ってるから見るかい? とけらりと笑う。
無断欠席がそれでチャラになるとでも思っているのか。
そもそも非戦闘区域での戦闘行為は慎むよう言っていた筈だが。
再教育が必要かと無言で相手を睨むと、ようやく髪から離れたトウカがちゃぶ台前に座り直した。
見下ろすと夕食の献立がずらりと並ぶ。
(なぜこんなに茶色が多い割に味が薄いのか賢人には理解できない)

「今日は味噌変えてみたんだよ」
座ったら? と向かいの座布団を示しながら、唐突にトウカが話しだす。
視線の方を見ると、直径15センチほどの壷が無造作に床に置かれていた。

「味噌」
「自家製だよ。すっかり忘れていたけど、良く発酵してたし美味しいといいね?」
「朝突然姿を消したのはそれか」
「まぁ結果がそうかな」
座り込んだ賢人の前で、箸を手にしたトウカが少し考えてから話しだす。
「別に君を狩りたい訳じゃないし、打ち合いも途中でどうでもよくなっちゃって、もう帰ろうと思って歩いてたらちょうど良く金髪女の二人組が歩いてたから首狩って、家についたら犬畜生にくれてやって。美味しそうに食べるんだよね骨ごと。
その後そういえば味噌あったっけーって思い出して久しぶりに床下開けてみたらすごい大きい樽であったんだよ、味噌が。
流石にそのままでは持ち歩けないから適当な入れ物に取って、あと帰りがけに金髪が一人で歩いてたからまた首狩って持って帰って来た」

つまりは特に何もないが気が変わって帰って来たのか。
「何も言う事は無いのか」
「美味しい?」
軽くかわされた挙げ句全く返事になっていない問いかけに早く食べろという圧力を感じとり、自家製味噌とやらを使用した料理を口に運ぶ。
まずくはない。
ただその味付けはやはり賢人には薄く感じられた。


(結局全然歩み寄れない人たちの話)